見たいように見ている、

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    ヤラセ感満載のちくわと梅の写真。

     

    人は見たいように、人のことを、世界を見ています。

     

    例えば、わたしのことも

    ある人は、

    いい人だと思ってくれているかもしれない。

    ひとりが好き、人付き合いの悪い、めんどくさい人と思っているかもしれない。

    性格キツイと思っているかもしれない。

    暗い、ちょっとやっかいと思っているかもしれない。

    嫌いと思っている人もいるであろう。

     

    どれも私かもしれないし、どれも私ではないかもしれない。

     

    良くない方に思っている人からしたら、ブログで書いてることや、どこかで話していることを、

    性格キツイし、めんどくさいし、重いのに、いい人そうなことを書いてる

    やさしそうなフリしてる、と思っているかもしれません。

     

    逆に、いい方に思ってくれている人から見ると、

    「あんな人だと思わなかった」というようなことを言ってたり、やってたりすることもあると思います。

     

    まいにち、規則正しく健康的で暮らしているなんていう誤解をたまに受けますが、

    たまに夜更かししたり、お酒飲んだり、そのほかの趣味趣向にわいわいやっていたりもするのです。

     

     

    できるならば、やさしい、いい人でいたいものだとは思いますが、

    それなりに人には好かれていたいと思ったりしていますが、

     

    誰かの「こう思っているであろう」にあわせて生きていかなくてもいいのですよねー。

    しんどいですよねー。

     

    さきほども書きましたが、

    性格キツイと思われているのに、こんないい人そうなこと書いて何て思われるだろう、

    こんなことやりたいと思っていても、「おまえごときが」と思われたら嫌だな、

    そんな風に「誰か」の世界で見えている「わたし」のことを気にしていることが、

     

    自分の行動や、言葉や、いろんなことにブロックをかけているのだろうなと思います。

    思っているけど、やってしまうのです!わーん(今のわたし)

     

     

    人は見たいように見ているから、

    わたしも見たいように自分のことを見ればいいのにねっ!と思っているところです。

     

     

     

     

     

     


    わたしは声がちいさい

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      声の大きい人もいれば、小さい人もいます。

      たくさん話せる人もいれば、話さない人もいます。

      たくさん人がいると話せないけれど、2人だと話しやすいという人もいます。

      大人数のほうが好きという人もいれば、少人数のほうが落ち着くという人もいます。

       

      どちらが人として良い、すばらしい、ということはないけれど、

       

      なんとなく、声の大きい人、たくさんお喋りができる人、グループの中心にいる人がすごい人、

      みたいなの過ごしてきた環境の中ではあったように思います。

       

      そして、声が大きい人がダメってことでもありません。

      声が小さいと思われてる人も、それなりに大きな声を出せてるときだってありますしね。(わたしがそう)

       

      結局は、「自分」の本来の調子、波長、周波数でいる

      それだと思うのです。

       

      その本来の・・・というのが、どういうことなのか、状態なのか、

      ということを知っていく、調整していく、キュルキュルと周波数をあわせていくというのに、

      ヨガや、瞑想をすること、アーユルヴェーダの智慧やケアで自分の取り扱い説明書を持つというのが

      手助けになっているように実感しています。

       

      周波数が変わればというか、本来の周波数になっていけば、

      今まで一緒だった人と合わなくなってくるかもしれません。

      それはわたしも体験しています。

      それはさみしいなぁという気持ちもあるのですが、

      どこかで合わせるのに頑張っていたわたしを見なかったことにはできないので、

      結局は、自分のことを整えていくしかないのだなぁ。。。と思っているところです。

       

      軽やかに。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      今日のあれこれ

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        今日は、ちくわをお風呂にいれ、

         

        散歩に行って、坂道をはぁはぁ言いながら歩いて、

         

        家に帰って眠くなった。

         

         

        その後、買い物にぶらぶらと出かけたところ、

        久しぶりにお見かけできたお顔があって、

         

        わたしが気がついたのが、声をかけるには遠いところだったので、

        声もかけられず、きっとそうだよなぁと思っただけなのだけど、

         

        それだけでも、とてもうれしかった。

         

        その一瞬で、お会いしていたときの、笑った顔、話したこと、時間を思い出して、

        それは今のこの瞬間ではないけれど、その時間はとてもありがたい大切な時間で、

        その時間があったおかげで、その一瞬が積み重なってきて、わたしの今につながっている。

         

        人と人とのつながりや出会いは、永遠ではないけれど、

        会えるタイミング、会えないタイミング、

        ヨガをしていても、もうしていなくても、ほかのところでヨガをしていても、

        例えば、わたしの顔は見たくないなぁというのであっても、

         

        理由なんてなくて、

        うれしかった。

         

        そういう人がいることが、ありがたいなぁ、ありがたいなぁと思って、

        お米を抱えて、家に帰った。

         

         

        わたしは、たくさんの人と一緒にわぁわぁにぎやかに何かをするのが得意ではない。

        人をたくさん集めたり、そのためのイベントのようなことをするのも望んでいない。

         

        お会いできたあなたのおはなしをゆっくり聞きたい。その時間を大事にしたい。

         

        こんなことが今のトレンド!人気のヨガ!の波には乗ることなく、

        ただわたしが「これが好きだし、私には役に立ったこと。落ち着くこと」と思うことだけを

        することにがんこかもしれない。

        たぶん、ビジネスとか仕事とかで判断したら、「アカン」ほうにはいると思う。

         

        そんな、まぁ言ったら地味に、見つけてくれる人だけ見つけてほしいという望みを持っている。

         

        今までも、これからも、やり方と内容は変化していっても、それは変わらないと思う。

         

        そんなところを見つけてくれてありがとう。ありがとう。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         


        甘いもの、あたたかいもの◎

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          甘いものと、あたたかいお茶は、おいしい相棒です。

          ありがたい。

           

          寒さは、不安や、さみしさや、切ないような気持ちも連れてくるのが自然の摂理で、

          アーユルヴェーダでは、風(ヴァータ)の高まりのしるしでもあります。

          あたたかいもの、あたためるものが、それのお手当てになります。

          よかったら試してみてくださいね。

           

           

           

           


          ゆっくりする、ゆるむ、ひと息つく、リラックスする、していいよ☆

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            完全にリラックスして座っているちくわさん。

             

            何をしてもしなくても、みんなに愛されていると思っているし、むしろ当たり前すぎるらしいし、

            みんなことが大好きらしいです。

             

            全身で愛されること、愛することをしているちくわさん。

             

            わたしは、どちらもまだまだ上手ではありませんが、少しずつ少しずつ。

             

            前の投稿に書いた、諸々の期間、

            わたしの心をぱきぽきと折っていったのは、「常識」「普通は」「仕方ないでしょ」という言葉。

             

            そして逆に、心を修復してくれたのは、

            そういう状態であるということを話していない人との時間や、

            知っていても、わたしを否定せず、ジャッジせず、特に何もないように、いつもどおりに接してくれた人との

            時間でした。

             

            そして、ヨガしたり、マッサージを受けたり、ちょっとしたひとりの時間を持つことでした。

             

            これらのこと、もちろん物理的な時間がとれないことも多いけれど、

            何より、こういうことに、自分のために時間をとることを周りからよしとされないこと、

            自分自身でOKを出せないことって多いと思います。

             

            よしとしない勢力がまだまだ多いけれど、そちらの勢力のパワーは手ごわいけれど、

            同じくらい、

            ゆっくりしていいよ、

            ゆるんでいいよ、

            リラックスしていいよ、

            幸せでいていいよ!

            という発信がいるかもしれないと思いました。

             

            「いいよ」と言ってくれることが、本当にほっとするからです。

            気づかずに入っていた力が抜けていきます。

             

            ヨガニードラの講座に参加したとき、

            サンカルパ(心からの願い、誓願)を唱えるというのがあるのですが、

            香さんが、仮のサンカルパとして、

            「おだやかに、しあわせに」

            という言葉をよかったら使ってねと教えてくれました。

             

            「おだやかに、しあわせに」

            この短いけれど、いろいろなことがぎゅっと凝縮された言葉に、

            おなかの真ん中あたりがゆるんできて、

            滞っていたものが巡りはじめたような気持ちになったのを覚えています。

             

            ひとときでも、少しの時間でも、背負っているもの、抱えているものをおろして、

            回復するための時間、リラックスする時間、ほっとするひとりの時間をもつことを

            自分にOK出してあげてくださいね。

             

            よかったね!いいよ〜☆とわたしが両手をぶんぶん振りながら言いたいと思います。

             

            ヨガをするということで、わたしはそのような時間を提供できたらと思っています。

             

            ゆっくりする時間と、お茶を用意してお待ちしています。

            いつでもどうぞ*

             

            kurasuhiromi☆gmail.com (☆を@に変えて送信してください)

            までメールでご連絡お待ちしています。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             


            自分自身をケアすること*

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              先日頂いたコーヒー。ちょこっとつけてくれたお菓子との時間に、心を休ませることが

              できました。

               

              そういう時間って、なかなか取れないけど、ありがたいし、

              毎日を生きていくのに、心の向きを変えるのを手伝ってくれるように思います。

               

              先日から香さんのワークショップなどのお知らせ文を読みながら、

              「ほんとに。ケアする人へののサポートが足りていない」と実体験から思いました。

               

              わたしが今すぐに何ができるということでもないかもしれませんが、

              わたしの体験として、その時々で思ったこと、感じたこと、を書いておこうと思います。

               

              長くなりそうですし、面白い♪という話でもないので、興味のない方は、ここまでで*

               

              **********************************************************

              夏が始まるころ、和歌山のわたしの母が亡くなりました。

              2年ほどまえに、骨折して入院したのをきっかけに、様々な症状がでてきて、

              介護関係の方々のサポートを受けながら、母は、母のこの世界での役目を終えました。

               

              今は、色々法事関係も終わって、ひと段落という時です。

               

              介護に関わる手続きのことや、色々なことはここでは省きますが、何か情報が知りたい方は、

              わたしが知る範囲で情報をシェアできるので聞いてくださいね。

               

              人はそれぞれの過ごしている環境や、元々の心の傾向などもあるので、

              こういう体験への思いは人それぞれだと思います。

              「わたしの場合は」で書いていることご了承くださいね。

               

              父と母はふたり暮らし。

              父も母のケアをしながら、家事をしたりもできないので、うちの場合は、ケアマネージャーさんにお願いして、

              色々な介護関係のサポートを受けることにしました。

               

              わたしが住んでいる場所と和歌山は近いようで、離れているので、毎日実家に帰って手伝いをする

              ということはできませんでしたし、仕事もあるし、家族もあるしで、即効手続きをしていきました。

               

              これは以前から、母が「もしもそうなったときにはそうして欲しい」と、私に話していたということもあります。

               

              こんな風に、スムーズに手続きは進んでいったので、はたから見たら楽をしているように見えたかもしれません。

               

              「楽をしているように・・・」と書いていますが、

              本当に本当にたくさんの方のサポートを頂いて感謝しかない!という気持ちを持ちつつ、それ以降は、

              「わたしはやるべきことをしていないのではないか」という超大型の罪悪感を自分を抱えることになります。

               

              ヘルパーさんにお会いしても、時々様子を見に来てくれる親戚に会っても、

              「親の世話をせず楽して、自分のしたいことして、仕事もやめず、実家に一緒に住むこともせず。。。」

              と思われているだろうな、そりゃそうだよな。。と自分で自分の心をドスドスと殴っているように思います。

               

               

              そして週1〜2回くらいのペースで実家に行って、買い物をしたり、父と母それぞれの話し相手や気晴らしをしたりしながらも、

              日々は離れて暮らしているので、自宅にいても

              「何も起きてないかな」「ケンカしてないかな」「これからどうしていったらいいかな」と

              常に心の中に心配ごとはつきませんでした。

               

              そんな風に

              ・罪悪感を持っている。

              ・自分だけ楽しいことをしてはいけないんじゃないか。

              ・遊びに行くということができない、したとしても言えない。

              ・心が完全に休まるときがない。

              という思いをされた方も、家族の看病や介護をされている方の中にはおられるのではないでしょうか。


              一緒に住んでいる父も、同じように常に気を張っていたと思います。

              時々、母がデイサービスに行っているときなどが安心して出かけられる時だったと思います。

              父は「家の電話が鳴ると、何かあったんじゃないかと思ってドキっとする」といつも言っていました。

               

              父も、母にやってあげたいという気持ちと、自分自身の体力や体調への不安や心配と、

              思ったように動けない母への苛立ちとで、色々な感情を持ち続けた2年間だったと思います。

              子供であるわたしには話せないことを、ケアマネージャーさんに聞いてもらっていたようです。

               

               

              母がお世話になっていた介護施設にも、様子を見に行ったことが何度とあるのですが、

              看護や介護のお仕事は、体力も使うし、怪我をしないようにと気も張るお仕事で、人手も足りていないようで、

              疲労が蓄積されているんだろうなと毎回感じていました。

               

              こんな約2年間を過ごして、

              こういう感情の蓄積は、人の心を弱らせていくには十分で、

              この約2年間の間に、「わたしは良くない黒いエネルギーを撒き散らしているに違いないっ!」と何度も思い、

              こんな状態で人に会える顔ではないはず!と思ったりしていました。

               

              これが行き過ぎると、介護うつになっていくんだろうなぁと客観的に思っていました。

               

              そうなのです。自分のことなんだけど、客観的に見るということをできたので、

              介護される人へのケアは昔に比べて充実してきているけど、

              ・家族へのケアはほぼない

              ・看護や介護に携われる仕事をされている方へのケアもない

              ・そんな時間もなかなかとれないし、取っていいよという雰囲気もない

              ということをずっと感じてきていました。

               

              わたしは家族としての関わりだったのですが、

              こういう期間が長くなるほど、

              肉体的・精神的疲労が増すこと、

              優しさがどんどん消えていって、怒りや、さらに進んで憎しみが家族に、自分自身に向けてしまう可能性があること、

              自分の土台を「幸せであってはならない」に知らず知らずに置いてしまうこと、

              が起きてくるなぁと実感しました。

               

              すごい体験です。

               

              そんなときに、わたしが助けられたことは、(離れて住んでいたからということもありますが)

              自分のことをケアする時間を持てたこと

              でした。

               

              自分でヨガの練習することもだし、

              仕事としてヨガをすることもだし、

              ちょうどその時に、香さんのワークショップに行ける機会があって、お話しを聞いたり、ヨガのことや

              アーユルヴェーダのことを学ぶことができて、

               

              「黒いエネルギー放ってる〜」とか、「家族のことが気がかり」とか、いろいろな感情や、背負っている役割や、

              肩書きを、いったん下ろせる場所と時間があるということが、

              なによりの助けになりました。

               

              わたしが自分をケアしていくこと、疲れをほどいていくこと、いい具合になっていることは、

              わたし自身にも、父にも母にとっても、やさしい愛ある選択をしていけることだ。

              とおなかの深いところで思ったのでした。

               

              ヨガ以外にも、話をできる場所や、マッサージを受けること、

              サービスを受けることに罪悪感持たずにすむような社会の雰囲気も、助けになるのではないかと思います。

               

              母を見送るときにも、父とわたしで、それぞれが健やかに生きていくこと(それは母にとってもきっと安心

              できることで)を選んでいけたように思います。

               

              こういう体験があって、わたしができること、ヨガをする場や時間では、

              いろんな背負っているものを下ろせる場と時間を作りたいと思っています。

               

              そして、どうにかケアをする側の方へのことができないかなとも思っています。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               


              メモに残っていた言葉、今日の言葉*

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                ゆるむ、今必要な力以外はゆるめている、をまさに体現しているちくわさん。

                 

                スマホのメモ帳に、ずいぶん前に残していた言葉。

                今日探しものをしているときに、ふと目に入りました。

                 

                今日のわたしに、スマホさんからの贈り物でしょう。

                 

                『緩むということは、自分の使っていない力を使えるようになるということ』

                 

                『自分自身が本当にゆるんでいることがたいせつ。風通しをよくして、脱力し、

                でも自分の中心に軸がある。そして地に足がついている。

                一番の答えは自分の中に』

                 

                 


                ことば

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                  今から来てくれる人を、ダッシュして迎えに行こうとアイドリング中のちくわさん。

                   

                   

                  ことば。

                   

                  文字になった言葉、声に出して発せられた言葉。

                  どちらも。

                   

                  今のわたしには、あのときあの言葉をもらったおかげで、心をぐっと支えてもらったという言葉があります。

                   

                  きっと、言ってくれたほうは覚えていないかもしれない。むしろ覚えていなくていいのです。

                   

                  そういう言葉たちがミルフィーユの層のようになって、今日のわたしができています。

                   

                  そんな言葉って、思うのですが、

                  考えて考えた結果絞り出してくれた言葉というより、

                  なんて気なしに、力みがはいっていないときに、ふわっと出てきた言葉だったように思います。

                   

                  言葉は、良い方にも、そうでない方にもなるので、扱いには気をつけないといけないものではありますが、

                   

                  誰かの心をあたたかくしたり、ほぐしたり、助けになるような言葉は、

                  思ってもいないことを言っていないこと、

                  考えすぎた言葉でないこと、

                  ふだんの会話の中でふわっと出てくる思い、

                  なのかもしれないなと思います。

                   

                  そして言ったほうは、言ったことを忘れているのも、思いがのった言葉が普通にそこにある感じで

                  よいなぁと思います。

                   

                  何年も前にもらった言葉を大事にしているわたしですが、ふとしたときにその言葉を思い出して、

                  わたしはわたしでよいのだ☆と思っています。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   


                  やめるか、つづけるか。

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                    なんども、なんども、友達に言ったら笑われるくらいなんども、

                    ヨガを教える、ヨガクラスをするということを仕事にすることを、やめようと思ったことがあります。

                    正確にいえば、今もどこかで思っています。

                     

                    この世界には、日本には、大阪には、岸和田や和歌山には、たくさんのヨガスタジオやヨガ教室があって、

                    わたしがやらなくても誰も困らないし、意味があるんだろうか、

                    わたしのところに喜んで来てもらえるほどの魅力もないだろう、

                    そして、むしろ今のヨガという世界を取り巻く真ん中ではなさそうな、わたしのヨガ教室に来る人はいるんだろうか。。。

                    そのわりに、岸和田はプライベートヨガでやっていきたいとかふざけたことを言っているぞ!

                     

                    挙げれば、ネガティブな言葉がズラズラ並んできます。笑

                     

                    でも、続けるにしても、やめるにしても、変わらないことがあって、

                    それは、わたし自身はずっとヨガをしているということです。

                    人になんていわれようとも、自分がよいなぁと思って練習を続けているヨガが好きなのです。

                     

                    わたしは、お世話になっている大好きな先生から、

                    ヨガは暮らしの中にあること、

                    自分自身を見る目をやさしさとあたたかさと愛を持ってみること、

                    毎日を生きること、

                    を教えてもらってきたと思っています。

                    どんなすごいポーズをできるよりも、生きていく本質を教えてもらってきたように感じています。

                     

                    だから、仕事としてするかどうかより、自分のためにヨガをしています。

                     

                    生きていると、ほんとに色んな出来事があって、

                    言葉にもできず「うわぁぁぁ」な気持ちが渦まくこと、

                    腹が立つことに頭がカッカすること、

                    心配ごとで夜眠れなくなること、

                    ほんとにいろんなことがあります。

                     

                    それでも、わたしは朝起きてヨガや瞑想をすることで、一日をはじめるエネルギーがわいたり、

                    夜寝る前にヨガや瞑想をすることで、頭の中を整理整頓して、心に余白を作れて、

                    お布団にはいることができています。

                     

                    ほんまにヨガしててよかったと思っています。

                     

                    同じ時代を生きている誰かに、わたしが先生から渡してきてもらったことを、

                    渡していけたらいいなと思っています。

                     

                    先日、マークウィットウェル先生のワークショップに参加していたお友達がシェアしてくれた言葉が好きなのですが、

                    マーク先生が「私がずっと手を握ってあげますから、一緒にプラクティスしましょう」と仰ったそうです。

                    (私は、これを「ずっと手を振っていますから」と読み間違えたんですが。それも想像するとかわいい)

                     

                    わたしも、そのような温かい手を差し伸べられるうような人になりたいと思っています。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     


                    わたしのエネルギーの注げるやり方*

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                      わたしがヨガをはじめたころは、インスタやSNSはなかったような記憶があります。

                      Yoginiという今でもあるヨガの情報雑誌や、本屋さんに売っている本、

                      インターネットでヨガをするスタジオさんや場所を探したり、カルチャーセンターやスポーツジムのプログラムで

                      ヨガやってるんだなぁとみながら、どこに行けばいいか、自分にあってそうなところはどこなんだろう?

                      と探していました。

                       

                      はじめての場所、はじめての人、はじめての先生、はじめてのことをするということは、

                      思い切ったら割りとすぐ動く方のわたしですが、こういう「はじめて」づくしの一歩はすごく緊張したものです。

                       

                      今の時代、SNSが普及していて、「ヨガ」というハッシュタグで見ると、

                      おーーーっ!わーーーっ!というくらいの勢いでたくさんの情報が流れ込んできます。

                       

                      今、わたしがヨガをはじめてみようと思ったのだとしたら、

                      選択肢が多いから良いなと思うより、

                      もしかしたら「わたしヨガできない、無理っ!」となっていたかもしれないと思います。笑

                       

                      それはわたしの心のクセというか、思い込みも十分あると思うのですが、

                       

                      難易度の高いポーズができるようになったとアップしている方、おしゃれなウェアを着ている方、

                      たくさんの参加者がおられるワークショップでの集合写真、

                      前向き思考であること、ハッピーオーラという言葉の数々、よいところだけ切り取った投稿、

                      もちろんそれだけではなくて、共感する言葉や、あたたかいやさしい言葉で、

                      画面越しにうんうんと頷いたり、心を解いてもらうこともたくさんあります。

                       

                      ヨガするということは、、、この中に入っていかないといけないのかぁ。。。。と

                      大人数の中のコミュニティにいることがあまり得意ではなく(自分がどういたらいいのかわからなくなるので)、

                      体の柔軟性もないしと、強さもないし、

                      なかなか最初の一歩が出せなかったかもしれないなぁと思います。

                       

                      ヨガというのを仕事にしている今でも、ヨガ業界という言葉は好きではないし、その業界に属しているとは

                      思っていないし、ビジネスという言葉も好きではありません。(仕事にしているだろう!と言われるかもしれませんが)

                       

                      ヨガをすることが、自分のことを知り、戦う存在ではなく、傷めつける存在ではなく、

                      いたわり、やさしく愛情を向ける存在であるということを思い出していくためのひとつの方法として親しんでいたい、

                      ヨガをしたときの、なんとも気持ちよいねぇ、落ち着くねぇと思いながら、ほくほくした顔になっていたい。

                      そう思っているのですが、

                       

                      ある一面から見ると、ヨガをすることが、誰かとの優劣になっていたり、マウンティングする道具になっていたり、

                      わたしと世界を、わたしと誰かを分けてしまう道具になっていないだろうか、そう感じさせていないだろうか。

                       

                      もっと足りない、まだまだ足りないということを煽られて、焦っていないだろうか。

                       

                      かつての、そして今のわたしのように、キラキラしているところに行くのに、ドキドキしてしまう人でも、

                      年齢や肩書きや体の強さ弱さが関係なく、ひょっこり顔を出して、「ここ大丈夫そう」と安心して、

                      ヨガに親しむ場所であればいいなぁと思っています。

                       

                      いろんなヨガをする場所、目的があって、選択肢や機会が増えるのはいいことだなぁと思います。

                       

                      その中でわたしは、ヨガをするということは、単なるエクササイズではなくて、

                      ヨガやほかのことも含めて、「すこやかに生きていく」「幸せはわたしの中にある」ことを

                      大切にしていきたいと思うのです。

                       

                      そんなの必要ないよ〜というかもしれない大多数に向けてのヨガクラスではなく、

                      わたしのエネルギーを注げるやり方(ものすご〜く狭い需要かもしれませんが)で、

                      ヨガをしていきたい。

                       

                      それもあって、ひとりひとりに向けたヨガもいいなと思って、

                      岸和田のヨガクラスは、基本的にプライベートヨガにしようと思いました。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       


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                      わたしとyoga classについて

                      くらすよがのせとひろみです。 大阪市、岸和田市、和歌山市でプライベートヨガと、少人数のグループクラスを開催しています。 ヨガニードラという誘導瞑想、リラクゼーションのクラスや講座、 アーユルヴェーダのワークショップや講座も開催しています。 この世界で唯一無二の「わたし」とつながり、ととのえるじかんを*

                      ◆プライベートセッション◆

                      ご希望や体調などをお聞きして、その日のメニューを決めていきます。 *ヨガがはじめての方、じっくりと取り組まれたい方 *とことんゆっくりしたい方、 *ヨガや瞑想、アーユルヴェーダの智慧にゆっくり親しむ座学をご希望の方 *ロミロミのオイルトリートメント すべての方に。 ●90分、120分 ●しっとりオージャス120分 ●ゆっくりオージャス180分

                      ◆問い合わせなど◆

                      kurasuhiromi@gmail.com までご連絡ください。

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