自然の見せてくれるもの

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    昨日の夕方、電車から見えた夕焼けです。

    スマホで撮ったので、もっともっと美しかった夕焼けと、その色になっている海の色は

    写真では伝わらないのですよね。

     

    こんな自然の見せてくれる美しさは、そのときそのとき大事に心で目で耳で肌で感じていきたいなぁと思います。

     

    ずーっとずーっと変わらない自然の美しさ。

    自然の中で生きて、自然と同じだよと言われているわたしたち。

    同じように変わらない、夕陽には夕陽の、海には海の、空には空の、わたしたちひとりひとりの、

    美しさがあるのだよねぇと、しみじみ思うのです。

     

    自分の外側にあるものの美しさは、気づくし、いいねぇ♪と言えるのに、

    自分のことになると見えないのが不思議!もうっ!

     

    なので、こうやって「ほらっ!」と見せてくれてるのでしょうね。

    ありがたい。ありがたい。

     

     

    そんな風に、本来の自分に戻っていくように、自然の一部だよということを確認するように、

    8月もヨガをしています。

    スケジュールの記事が、埋もれていくので、ここにリンク貼っておきますね。

    よかったらどうぞ☆

    8月のスケジュール

     

     

     

     

     


    過去のこと、今を生きること、未来につなげること

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      わたし自身もそうですが、人は今この瞬間に現在に生きていても、

      今の現状や状態、起きている出来事を通して、

      昔のことを思い出して、

      「あのときこんなことをしていたけど、もうできないんだなぁ」とさみしくなったり、

      「こんなことしてもらったのに、ありがとうってちゃんと受け取ることができなかった」と後悔したり、

      「あのときは助けてもらったのに、何もお返しできていない」と申し訳なく思ったり、

      「あれ楽しかったなぁ」とにんまりしたり

      しています。

       

      未来のことも、今までの経験や、テレビやネット、本など色々な情報、想像をフル活用して、

      わくわくしたり、不安になったりしています。

       

       

       

      そんなわたしが今日思うことは、今はもう戻れない過去のことを、

      さみしくなったり、後悔したり、申し訳なく思ったり、にんまりしていいんじゃないかなと思います。

       

       

      「こんなことできていたのに」は、

      ちゃんとでも、ちゃんとしてなくても、そのときの体験を、わくわくしたり、楽しんだり、

      ときには怒ったり、しながら、その瞬間を生きていたということです。

       

      「ありがとうって受け取ることができなかった」という後悔は、

      そのとき「ありがとう」できなかった自分は受け取り下手で、それが少しずつ時間を重ねて、体験を重ねて、

      受け取っていいんだということを知っていけるきっかけとなったかもしれません。

      そうだとしたら、そのときの「できなかった」は、これからのわたしにすばらしい種を蒔いてくれたのでしょう。

       

      わたしも褒められたり、何かをしてもらうのが超苦手で、

      「そんな価値はわたしにはない、申し訳ない、まだまだそんな域には達していない」と

      体も心もこわばらせて、ふたをして、してもらってたことや愛を、はねつけてきたように思います。

       

      受け取れなかった過去があって、少しずつ「ありがとう」と受け取れるようになってきたわたしがいて、

      その今のわたしがあるから、過去のわたしにも、何かをしてくれた相手の方にも、

      現在から過去に向かって、愛を送れるんじゃないかなと思っているところです。

       

       

      「あのとき助けてもらったのに、○○してもらったのに」と、今の不義理な自分に罪悪感などを持っているときは、

      そのとき助けてもらったり、何かをしてもらったことを、そのとき、その瞬間、それを受け取っているのです。

      そのとき受け取ったというで、与える側、受け取る側でちゃんと交換できていたんじゃないかなと思うのです。

      「助けを受け取ったよ、してもらったことを受け取ったよ」ということが、十分なお返しになっているように

      思うのです。

       

      もしその方に、何かをお返ししないとと思っているけど、できないのであれば、

      別の誰かを助けたり、誰かに何かをしていくことで、giveとtakeのすてきな循環ができていくように思います。

       

       

      結局何が言いたいかと言うと(笑)

      今を通して、過去をみたり、未来を見たりしています。(たぶん)

       

      過去にできなかったこと、してもらったこと、そのとき感じたこと、反応したこと、それに現在からは何も修正はできないけれど、それでいい。

      できなかった、してもらった、という時間を、その瞬間を、わたしは体験し、味わった。

      「その時間を瞬間を生きたね」ということが、そのときのことを後悔し、さみしくなり、うれしくなる

      わたしを癒してくれるチカラになり、未来のわたしにつながるすばらしい種をまいてくれてるように思います。

       

      わたしの個人的な思いだけど。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      ポジティブでもなくネガティブでもなく。

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        メディアやSNSなどでイメージされているヨガとか、ヨガを教えている人というのは、

        何事にも前向きで、ハッピーにあふれていて、笑顔で。。というものかもしれません。

        100%そんな感じで過ごせていたら、毎日を明るい気持ちで過ごせるのかもしれませんねぇ。。。

         

        わたしですら、肩もこらず、夜も良く眠れて、体調もよく、毎日をおだやかに生きているのだと思われていて、

        「そんなことないですよ」と言ったら、驚かれるし、何ならヨガって健康に効果ないのかもと

        疑いを持たれてしまうのではないかと危惧しています。

         

        今から暗い話を聞かせましょうというのではないので、ご安心を。笑

         

        ほかの方はどうかわからないですが、

        わたし自身は、

        ずっと肩こりを持っているし、

        腰も自称ガラスの腰だし、

        首もお線香より折れやすいのではないかと思うくらい弱いし、

        胃も丈夫ではないので、食べ過ぎたり、お酒がキャパを超えると、ううぅぅとなるし、

        自分に必要以上にきびしいし、

        印象良くないとずっと思い込んでいるし、

        人との距離をなかなか近づけることができないし、

        リラックスしたり、力を抜いたりということが人一倍下手だし。。。

         

        と、こんな私がヨガとか養生法教えてて良いんだろうか。。。と頭を抱えた泣きたくなるくらいです。

         

        俗にいうネガティブ要素満載なのですが、

        ネガティブだ!ダメだ!と拳を振り上げて、自分に怒らないようになってきました。

        そうなってきた。昔からそうではなかったのが、ちょっとずつましになってきてて、

        でも今でも拳振り上げそうになります。

         

        今はどちらかというと、

        「そういうところがあるよなぁ。でもそれがわたしの100%でなはい(どこかにちょっとくらいいいとこもあるやろう。。」

        ということを知っている軸みたいなのがありつつ、ネガティブモードの自分を見ている、

        という感じでしょうか。

         

        そういうところがあるから、

        体をこまめにほぐしたり、人の手を借りてメンテナンスするし、

        あたたかいものを摂るようにしているし、

        人からみたらつまらない人生かもしれませんが、食べ過ぎ飲み過ぎにはなるべく気をつけているし、

        (その後、胃の調子が悪くて寝込むのを何度も繰り返したので学習しました)

         

        リラックスしたり、ゆるむことが得意じゃないから、何よりそんな時間を持たせてくれるヨガの練習をしているし、

         

        ついつい自分のことを厳しくジャッジしてしまうので、ジャッジしない時間を持って、

        ジャッジしなくてもいいし、そんなに悪いところばかりじゃないよ〜と落ち着くために静かに座る瞑想するし。。。

         

        まだまだわたしの中で、手を放していい考え方の癖や、体の癖がたくさんあって、

        それを見つけて、手を放していくことを、

        いろいろな場面やツールでできていけばいいなぁと思っています。

         

        ポジティブにもネガティブにも寄り過ぎない、

        そのあたりをゆらゆらと漂いながら、

        自分にもっと甘くできるようになればいいなと思います。

         

         

        こんな感じなので、ハッピーオーラ全開☆(キラ☆)みたいな人でないけれど、

        自分はゆるむの下手なのに、人によくゆるもうねって言えたな(笑)とツッコミたくなるけれど、

        いろいろな段階を経て、だからこそ話せることや、安心して過ごせる場を作ることが

        できるのかもしれない、そうありたいなと思っています。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         


        誰かに勧めたくなるとき。

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          散歩していたり、買い物に行くのに歩いていくと、道に咲き始めている春の草花が

          たくさんあって、名前はわからないのだけれど、「今年も咲いたね」とあいさつしたくなります。

           

          この小さなピンクの花は何という花なんだろう。

           

           

          ヨガであったり、アーユルヴェーダのことだったり、クレイのことだったり。

          自分がやってみて、「よいなぁ」「気持ちいいなぁ」「こんな変化があって」と好きになったり、

          毎日に取り入れたくなるような体や心の整える方法があるのですが、

          人には「これがいいからやってみたら」と勧めないようにしています。

           

          勧める場合も、なんというか、

          「このパンおいしいから、試しに食べてみて!」くらいの

          その後の反応に対しては、「こういう反応が欲しかった」のような期待はもたない気楽な紹介にしています。

           

          自分にとって良かったものは人に勧めたくなるものなのですが、

          相手の方がそれをいいと思うタイミングでなくて、

          「せっかく紹介したのに」のようなこちらの勝手ながっかりになったり、

          紹介する場の空気によっては、自分にとって大切なものが何というか軽い雑談のタネになって

          笑って終わってしまうということが、何度かあったということもあります。

           

          そんなついつい紹介したくなってしまう私が、勧めないようになったのは、

          決して、ガッシャーンと扉を閉じたわけでなくて、

           

          ヨガやアーユルヴェーダ、そのほかの生きる知恵を教えてくださっている先生や本が、

          「人に紹介したくなったら、自分自身がそれを通して良い状態でいること。」

          と教えてくれたことが大きいなぁと思っています。

           

          『あの人があんなにいい感じなのは何をしているからだろう?試しにやってみようかな』

          『どんなことをしているのか聞いてみようかな』

          と、興味の扉を開いたときが、わたしたちのはじめるタイミングになるように、自分自身の体験からも

          思います。

           

          そして、何かを人に勧めたくなったときは、自分自身にとっても「そのこと」「その言葉」が必要な

          タイミングなのかもしれません。

           

          わたしがこの方から学びたいと思う先生はみな、その方自身がそれを実践されていて、

          そしてそれを声高にいうことなく、その方の存在が輝いておられる方ばかりだなぁと思います。

           

           

          なので、今日もわたしは、こつこつまず自分を整えるということをしていこうと思っています。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           


          まわる、めぐる、循環する○

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            ヨガミトラさんのヨガニードラクラス、

            4月と5月の開催日が増えたのでお知らせです。

             

            4月13日(土)

            4月27日(土)

            5月11日(土)

            13時45分〜15時

            ヨガミトラ中崎町教室

             

            ご予約は、ヨガミトラさんまでお願いします*→YogaMitra

             

             

            ヨガミトラさんは、わたしがとても好きな場所です。

            ここに来るたび、窓から庭を眺めながら座るたび、

            まわりの喧騒から離れて、自分の時間に戻るような、呼吸が整うような気持ちになります。

             

            ここに来るたび、

            好きだなぁと思う場所に来れること、そこでヨガができること、

            そこでお会いできることに、

            ありがたいなぁ、うれしいなぁと、心が満ちるというのはこういうことだな、という気持ちになります。

             

            まいにちの中で、

            どこでヨガをするかとか、何を買うか、どこでごはんを食べるか、、、

            たくさんのことを選んでいます。

            その選ぶ動機、きっかけ、決め手は、「ありがとう」という気持ちでありたいなぁと

            最近よく思っています。

             

            物々交換というのは、なかなか難しい時代ですので、何かを買ったり、してもらったときに、

            「お金」で支払うということをしています。

             

            お金とはエネルギーだよというおはなしはよく聞いたりします。

             

            ならば、それを渡すことも、受け取ることも、気持ちよく、にこやかに、

            「ありがとう」という気持ちで受け渡しできたら、よいなぁと思うのです。

            それは直接的に渡す場合でなくても。

             

            髪を切ってくれた美容師さんに、「いつもいい感じにしてくれてありがとう」

            髪を乾かしてもらっている間にお茶を持ってきてくれるアシスタントさんに、「喉渇いてたの助かった、ありがとう」

            いつもロミロミで体をゆるめてくれるゆかりちゃんに、「ゆるめてくれてありがとう」

            ごはんやさんにも、「ごちそうさまでした。ありがとう」

            いつも行くスーパーのレジの人に、「ありがとう」

            勉強行くとき、先生に「今日もいい学びに時間をありがとうございます」

             

            なので、できるかぎり、

            「ありがとう」という気持ちをのせて、渡すことができる店、場所、人を選んでいたいと思うようになりました。

             

            わたし自身もそう思って、参加費をいただけるようなクラスをしていきたいと思っています。

             

            わたしであれば、それを頂くことで、

            また勉強に行くことができたり、

            わたしから「ありがとう」という気持ちで渡せる場所に行けたり、

            それがまためぐって、まわっていくのだと思うからです。

             

            渡すことも、頂くことも、「ありがとう」で愛ある循環として。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             


            ひとつが全体に、全体がひとつに

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              まいにち生きていると、

              うれしいこともあるし、楽しいこともあるし、

              腹の立つこともあるし、なんともいえないもだもだした気分になることもある。

               

              体も痛いところもあれば、花粉のおかげでカサカサしてくる鼻もある。

               

              特に、あまり好ましくない感情や、心地よくないことがあると、

              それが自分というもののすべてのような気持ちになる。

               

              わたし全部が、痛い、辛い、カサカサで作られているような気分になる。

               

              逆にうれしいことや楽しいことは、なぜか「こんないいことばかり起こってよいはずはない!」

              なんてことを思ったり、

              大変だなと思っていたことや、悩みがどこかに飛んでいってしまうことだってある。

               

              いろいろな感情のひとつひとつが、わたし全体にひろがっていくし、

              実はひとつひとつ綺麗な境目があるわけではなくて、別々のようで「わたし」という全体を作っている。

               

              ひとつひとつに焦点をあててギュッと見てると、

              大変なことばかりが盛り上がってくるけど、

              全体を見てみると、

              ちょっとした時の笑ったことや、楽しいこと、呼吸の気持ちよさ、体がのびのびする気持ちよさ、

              自分じゃわからないけどその人の持つ魅力みたいなもの、

              すでにあるものがいっぱいある。

               

               

              そのときどきの、感情や感覚に右往左往しながらも、

              全体をみたり、自分が選んでいくことを応援するような信頼することを

              思い出す時間というのが助けになるなぁと思うのです。

               

               


              条件付けなく存在するということ*

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                条件付けなく存在するということ

                 

                これは、ヨガやアーユルヴェーダを通して「生きる」ということを学んでいく中で、

                教えてもらってきたことです。

                 

                わたしたちは、生まれたときから、

                親の子供であるわたし、○○学校に行っているわたし、○○で働いていて、△△な役職なわたし

                など、様々な肩書きを持っています。

                 

                それが時には、自分と周りとの優劣の比較に使われたり、自ら使ったり、

                何かしていないと、何かがないと「良し」とされないような、そんな気持ちになったりします。

                 

                そんなことに右往左往されたりしつつも、

                ヨガというツールを使って、いろんなことを体験したり、自分の内側にある感覚というものを見ていくという

                ことをしていくと、

                言葉にもならないようなゆったりと満ち足りた感覚や、ほっこり幸せな感覚や、静けさや、

                頭を使ってどんな感覚かを言葉にしなくてもいいような、何も頭で考えていない時間に

                出会うことがあります。

                 

                ヨガニードラで起きてきたときの感じも、そんな感じでしょうか。

                 

                そのときって、肩書きや、何かを成し遂げた!みたいなことや、周りからの評価とか、どうでもよくなっていませんか?

                わたしはどうでもよくなっています。笑

                やらないといけないなぁと思っていたことも、いったんどっかに行ってしまっています。

                (そして、案外やらないといけないと思っていたのは、やらなくもいいことだった!ということに気付いたり)

                 

                わたしたちは、条件つけなく自分の内側の知性や幸せの中に存在してもいいらしいのですよ○

                 

                そこにいること、そこにいてくれることだけで、ほんとうにいいのです*

                 


                日常の中で、どうしてもやらないといけないことや、周りの人たちとの関係性の中で生きていると、

                それを忘れて、自分は価値がない人間だ思ったり、罪悪感を背負い込みすぎたりしてしまいます。

                 

                「条件つけなしにそこに存在する」時間や体験があること。

                その体験は、自分を真ん中に戻してくれて、落ち着けてくれて、本当に必要なことをするチカラを

                戻してくれるように思います。

                 

                子育てや、家族の看病や介護、自分自身の大変なことを持っているときほど、

                こういう時間がありがたいし、大切だし、

                そんな時間をどうにか持ってほしいなぁと思います。

                 

                特に周りからの謎のプレッシャーや罪悪感を背負わされそうになったら、

                ひとりの時間を持つこと、

                何も良い悪いをジャッジしない、されない所で、心と体を整える時間を持つこと

                は持ってくださいね。わたし自身の体験からそう思っています。

                 

                 

                わたしの体験ですが、(わたしの話を聞いてくれ!というのではないですが、あえて書くことで

                同じような思いをしている人や、こんな風に思ってもいいんだと自分を許せたらいいなと思い)

                母の介護のことで、わたしと父とでは回らないし、できないことは専門の方にお任せしようということに

                しているのですが、

                家族(一人娘なので、両親だけですが)以外の親戚や、お付き合いのある知り合い、中には友達や専門職の方から、

                 

                家族以外の人に頼むのは、自分だったらできないかも、

                大変な思いをしてはじめて専門の人に任せてもいいんじゃないか、

                のようなプレッシャーある言葉をもらったり、

                どうして仕事をやめないの?実家に戻らないの?と、言われたり

                 

                うまく言えないですが、わたしが楽しく幸せにしててはいけなくて、

                ボロッボロになるまで身を捧げないとダメだよと、受け取ってしまうような言葉や考え方をたくさん

                頂きました。

                 

                今まで、ヨガやアーユルヴェーダを通して体や心を整える方法について知っていなかったら、

                そのもらった言葉どおりに、もっと自分のことを追い込んでいただろうし、

                あれほど勉強したにも関わらず、十分追い込んで、暗い気持ちで暗い顔で、

                「家族のことをサポートしきれていない私はダメな人間だ。もう笑ったり、人に会ったりしちゃいけない」

                くらいに思っている時期もありました。

                 

                ちょうど、先代の愛犬だんごを亡くした時期とも重なっていて、悲しいさみしい暗いモード全開になっていたのも

                あって、余計に自分の追い込み方が尋常じゃなかったと思います。

                 

                ときには怒りモードにスイッチが入って、

                「なんでそんなこと言われなあかんねんっ!」と思って、言ってきた人と距離を置いたり。

                怒りモードに入ると、寝つきの悪いこと!笑

                 

                そんな時期に、

                自分でヨガの練習をしたり、

                ヨガの勉強に行けたり、

                何もジャッジしない友達に会えたり、なんてことない話をできたり、

                そんな時間が、

                「いやいやいやいや、そうじゃないって!わたしはどんな状況にあっても、なくなることのない静けさや

                ほっこりした気持ちや、幸せはあるんやって!落ち着いて、わたし!」

                と、思えることができているのです。

                 

                なにをしていても、していなくても、条件なく存在していいし、そこにいてね。

                の存在なんだよなぁと、思い出させてくれるのです。

                 

                 

                何が言いたいかというと、

                さまざまな環境や状況や、役割の方はいるけれど、

                わたしは誰のこともジャッジせず、

                みんな条件なくすばらしい存在なんだよという気持ちでいようと思っているということと、

                その人が選択したことは、特にその人にとって優しくて調和的な選択だったら、「うんうん。いいね」と

                全肯定していきたいと思うのです。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 


                自分のデフォルトみたいなもの

                0

                   

                   

                  家では、消化にやさしそうな大根と鶏の鍋のようなのばかり食べている冬ですが、

                  そうやって養生しておいて、ここぞというときに消化力をいかんなく発揮するように

                  おいしいものを食べたい派です☆

                   

                  おいしいものを食べる、それもきっとおいしいものが好きであろうと思われる人が作ったものを、

                  おいしいもの好きの人と食べるということは、わたしの幸せのパワーアップをしているようなものなのです。

                   

                  タイトルに書いている「自分のデフォルト」とは、

                  自分のこころの中心をどこにおいているかみたいな話です。

                   

                   

                  「わたしには大変なことばかり起こる」

                  「わたしにはいいことなんてない」

                  のように、

                  自分の初期値を「大変」「大変な思いをしなくては幸せになってはいけない」「幸せではない」

                  に置いてしまっている(しまっていた)なぁと最近ふと思って、

                  「いやいやいやいや」と自分にツッこんだのです。

                   

                  それは、過去の体験や、人から言われた言葉、身を置いていた環境でそんな刷り込みをしてしまっていたのだと

                  思います。

                  そんな小さな積み重ねと、それをどーんと心の深いところに杭を打ち込むような出来事などで、

                  何かいいことや、ふとしたときの満たされた気持ちや充足感を打ち消してしまうようなことを

                  自分にしていたように思います。

                   

                   

                  まだ完全にそれが取りきれたわけではないけれど、心の奥のほうの悲しさやさみしさはまだまだあるけれど、

                  例えば

                  おいしいものを食べてまんぷくになったとき、

                  心をゆるむ人たちと一緒に過ごしたとき、

                  ヨガをして心が静かに落ち着いてきたとき、

                  ひとつひとつの充足感や、あたたかな気持ちを見つけられたら、

                  それを自分のデフォルト、真ん中にしてみようと思います。

                   

                  少しずつ少しずつ。

                   

                  わたしたちは、何の条件がなくても、幸せだと感じてよいし、幸せの方向に心も体も向けていってよいのですよね☆

                   

                  そして、わたしは、わたしが好きな人たちのことは、何の条件もなく、その人がどんな時でも好きなのです☆

                   

                  人が生きていくのに、愛されるのに、ほんとは条件なんていらないのでしょうね☆

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   


                  幸せであることにOKを出す。

                  0

                     

                    愛されていることに何の疑問も持っていないちくわです。

                     

                    たまたまテレビのチャンネルが切り替わったときに、西川へれんさんの体験が紹介されていたのですが、

                    ヘレンさんはご自身の更年期の症状が出ている時期と、ご家族の介護の時期が重なっていたそうで、

                    その時期がとても心身ともに大変であったそうです。

                     

                    おそらく、更年期の時期と、介護のことを考える時期が重なる女性が多いのではないかと思います。

                    そしてお仕事をされている方は、それに加えて仕事も忙しく、

                    子供さんいらっしゃると、それにされに。。。

                    心配事、体力が落ちていること、ご自身の体調、でも自分のことは後回しになってしまう。

                     

                    わたし自身も、子供はいませんが、まさしく両親のことで考えることや心配なことも多く、

                    そして体がしんどいなぁと思っていても車を運転して実家に帰ることもあったり、

                    まさにその時期を過ごしているのだと思います。

                     

                    こころのどこかには、罪悪感というものがうまれ、そして罪悪感を持つのはやめようと日々心のお掃除をし、

                    そしてまた新しくうまれ。。

                    ときには激しく落ち込み。

                    こういうことをもっとやりたいんだ!という、こころの奥からの希望がわき上がり。

                     

                    全部、誰に言われたり、求められたわけでもない、自分の心の中で起きていることです。

                    頭がポンッ!となりそうなくらい、いそがしい。笑

                     

                    頭がポンッ!となりそうなくらいになったとき、

                    (勝手な想像力で)もうどうしたらいいのかわからなくなったとき、

                    「自分が幸せであることを許可する」

                    という言葉を思い出します。

                     

                    何がどうなったら幸せなのかは、人それぞれあると思います。

                    おいしいごはんを食べることだったり、

                    誰かに会って話すことだったり、

                    居心地のいいカフェに行くことだったり、

                    ヨガをすることだったり。。。

                     

                    ささやかなことで、ほわっっと心がゆるむようなことが自分にあること、

                    たいへんだなぁと思うところから、少しでも離れる時間をもつこと、

                     

                    罪悪感を持っていることに気付いたら、

                    それと同時に、

                    「幸せであること」を許可してみてください。してみます、わたしも。

                     

                    幸せであっていいらしいですよ☆

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     


                    それぞれの健やかさ、のびやかさで○

                    0

                       

                       

                      まずは10月のスケジュールです。

                      ☆10月のスケジュール☆

                       

                       

                      思っていること。

                       

                      人の思っていることは、頭の中をのぞけないのでわからないので、

                      わたしがなんとなく思っていることですが。

                       

                      ヨガのイメージ、ヨガをする人のイメージって、まだまだ体が柔らかくって、

                      運動が好きで、おしゃれなウェアを着て、

                      元気で、いつも前向きで、むずかしいポーズをできるようになって。。。というのは

                      SNSで発信されることや、雑誌によるものなのかなぁと感じています。

                       

                      それはそれで構わないのですが、

                      そこに当てはまらないことが、ヨガから自分を遠ざけることにならないといいなと思います。

                       

                      強度の高いポーズをすることが、ヨガの目的ではない人がいてもよいと思うのです。

                      わたし自身がそうだから。

                      自分にあった練習をすることを大切にしたいのです。

                      (もちろん強度の高いポーズ練習が、体の準備と体調が整っているときには、その人にとって

                      すばらしい練習になると思います。)

                       

                       

                      わたし自身のはなしになってしまいますが、

                      気圧の変動にやられて、ふらふらしてる日もあったり、

                      もともと体というより筋肉が硬い方だし、

                      以前耳の調子を崩してから、頭を下にすることがしんどいなと思うことが増えてきていたり。

                      その分、日によって体調は違っているので、それにあわせて練習することが、助けになっていると実感していたり、

                       

                      また気持ちのほうも、

                      季節的に秋は、しんみりしょんぼりすることも多いし、

                      ヨガの哲学的なことを勉強しても(ほかにも心のあり方の勉強も)、

                      昔からの考え方のくせがまだまだ抜けなくて、人に良く思われてないだろうなと思っているし、

                      それでも好きな人には嫌われたくないし、むしろ好かれていたいし、

                      褒められたいという欲もちゃんとまだまだ持ち合わせているし、

                      じゅうぶんな腹黒さもあるし。

                      先のことは不安いっぱいだし。

                      どうだっ!(開き直り)な気分にだってなります。

                       

                      そんなことを、たまにじめじめ思いながら生きているわけですが、

                      それでもヨガのじかんを通して、

                      日々のいろんな思いや浮かんでくる考えを汲み上げて、ほどいていったり、

                      体の緊張やこわばりをほどいていったりすることで、

                       

                      立派な人にはなれないでしょうが、

                      ちくわに触れる手があたたかくなったり、

                      ごはんを作る気分になったり、

                      おいしいものを食べて笑えたり、

                      そんな日常が愛おしく思えてきたり。

                       

                      それがわたしにとってヨガをする理由なのかもしれないなと思っています。

                       

                      それぞれの健やかさや、のびやかさを大切に育てていくように生きていけたら楽しいし、

                      ヨガがほんの少しでもその役に立てばうれしいなぁと思います。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       


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                      わたしとyoga classについて

                      くらすよがのせとひろみです。 大阪市、岸和田市、和歌山市でプライベートヨガと、少人数のグループクラスを開催しています。 ヨガニードラという誘導瞑想、リラクゼーションのクラスや講座、 アーユルヴェーダのワークショップや講座も開催しています。 この世界で唯一無二の「わたし」とつながり、ととのえるじかんを*

                      ◆プライベートセッション◆

                      ご希望や体調などをお聞きして、ゆっくりすすめていきます。 *ヨガがはじめての方、じっくりと取り組まれたい方 *とことんゆっくりしたい方、 *ヨガや瞑想、アーユルヴェーダの智慧にゆっくり親しむ座学をご希望の方 すべての方に。

                      ◆問い合わせなど◆

                      kurasuhiromi@gmail.com までご連絡ください。

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